努力の才能がない人へ

俯瞰視

僕には努力の才能がありません。
情熱の全てを注げる好きなこともありません。

物事に対して努力ができるということは
一つの才能です。
ただそれは一視点に過ぎません。

よく、努力や情熱を持てることが
素晴らしい才能だと言われます。

実際に著名な方の逸話を聞くと、
長い下積みを経て
それでも努力を重ねそれが報われて成功した。
というのをよく聞くと思います。

そんな話を聞く度に、
自分がその才能を持ち合わせていないと
ガッカリしてきました。
しかし、それは単なる誤解だったんです。

勿論、ある一定の成功ポジションに立つには
何かを積み上げる必要があります。

現代社会では、賢く、要領よく、
最速でお金を稼いで
人から羨ましがられるような生き方こそ
素晴らしいとされがちです。

それはそれでOK。
間違いではないと思います。

ただそのために努力できないことや、
一般的な成功を掴めないことが
ダメだということではないんです。

それはただの人生の一側面に過ぎない。

「生きているだけで丸儲け」

この言葉には深い意味があります。

才能がないと感じるなら、
その「才能がない」という特性を活かして、
今この瞬間を感謝することが大切です。

目標は一つではなく、多様だから。

お金の稼ぎ方にも様々あり、
人生の楽しみ方も様々ある。

長い距離を走ることが苦手だった僕には
マラソン好きの彼の気持ちが分かりませんでした。

健康になるために運動が必須だとしても、
マラソンだけが運動ではないはずです。
自分に向いている運動が絶対にある。

仮にある山の頂に登ることが
全ての人間の目標だったとしましょう。

才能ある人が断崖絶壁を最短で登ることが出来る。
それはそれで素晴らしいことです。
でもそれ以上ではないんです。

彼らを必要以上に尊敬する必要はないし、
逆に彼らを妬む必要もありません。

一番いけないのは山の麓でじっとしていること。
だって暇でしょ。

もしかしたら遠回りだけどほぼ平坦な道を
ずっと歩き続けると
いつの間にか山頂に着いているかもしれない。

キン肉マンみたいにおならで空を飛んで
頂上にたどり着けるかもしれない。

やり方は人それぞれ違って良いし、
必要以上に誰かを羨む必要も蔑む必要もありません。

自分の最善最適は自分で決めれば良い。

運命が決まっているとしても、
自分の理想に近づこうとする姿を魅せましょう。

知性も体力も才能ですし、努力も才能。
でも大切なのは「生きる」ということです。

自分の考えと違うことを否定はしない。
ただ自分には自分に適した生き方がある。
生きているだけで価値はある。

生きていることに感謝して、
今ここを大切に生きよう。

(ある映画の感想でした)

 

 

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